茶飲み話[29]

 1980年代は、わが国の労働運動が最後の輝きを見せていた時代だったと言えるかもしれない▼連合の源流ともいえる全民労協が結成されたのが1982年。その土台作りを行ったのが、80年9月に設置された「民間先行による労働戦線統一推進会(統一推進会)」である▼「共通の認識に立つ民間労組を先行統一させる」との4団体合意(総評・同盟・中立労連・新産別)によって、それぞれのナショナルセンターを代表する6人の民間単産の会長・委員長が、翌81年6月までに13回の会合を開き、「民間先行による労働戦線統一のための基本構想」をまとめ上げた▼そして、81年12月には極左などの妨害を排除しながら「統一準備会」を結成し、翌年の全民労協の結成を経て87年には民間先行による「連合」へとつながっていく▼毎回、侃々諤々(かんかんがくがく)の激論を交わしていた「統一推進会」は、会合が終われば事務方を担当していたそれぞれの単産の書記長・事務局長などを含め、近くの小料理屋で「ちょっと一杯」が常だった▼そこで、会の使い走りをさせられていた一人の若きオルガナイザーの出番が回ってくる。12人の“親分衆”の前で労働歌をうたわされるのである▼♪踏みしめる大地に若草萌え いま生まれる希望の五月 五月の土の上で肩を組もう さぁー君と心熱く 団結の旗高く掲げ 友よ五月の道を行こう―。唄い出しはいつも決まってこの歌、「友よ五月の道を行こう」から。わが国メーデー50周年を記念し、メーデー実行委員会が公募して作った歌で、一つの詞に曲は二つ付けられている。ちなみに、♪きらめく光 青空のもと 団結の旗 高く掲げ進め~、ではじまる「国のすみずみから」も50周年記念の公募入選作である▼労働戦線の再編・統一から四半世紀。労働者の暮らしはどう変わっただろうか。もうすぐメーデーである。労使関係が成熟(?)したからなのか、それとも労働運動が変質したからなのか。いつしかメーデーも形だけの式典と化し、労働者の連帯や団結を確認しあう場ではなくなったとの声もある▼「労働運動にもう一度輝きを」と願うのは、老いたオルガナイザーの繰り言でしかないのだろうか。(良穂)[2016/04/07]