茶飲み話[134]茶飲み話にはちょっと重たくなりますが・・

 新しい年が始まりました。
 昨年は新型コロナウィルス禍の中で、東京では「緊急事態宣言」該当期間が1年の約60%弱にも及ぶ窮屈な日々だった。沈静化したと思われたのも束の間、オミクロン株が落とす影の中で年が暮れて明けた。しかし、年末年始、交通量も人の動きも増えて来ている。暮れのデパ地下では、買い物客の混雑に驚いた。久しく人混みに揉まれていないので、一件の目的を果たすのに酷く疲れて悲鳴をあげた。
 新年の人の動きが、感染拡大を誘発しないことを願うばかりである。

 耳に蛸の話かもしれないが、二つほど申し上げたい。一つは、選択的夫婦別姓で、通称併記だけでは駄目。二つは、「女性差別撤廃条約選択議定書」の批准促進である。
 21世紀を人権の世紀にと国連が定めた人権条約のひとつに、我が国も批准している「女性差別撤廃条約」がある。批准実現までのことはさておき、この条約が各国の女性差別問題を少しずつ解決していく「力の源」になっている。
 条約には、加盟国にその実施状況の報告を義務付ける「報告制度」がある。日本政府はすでにレポートを9回提出し(直近では2021年)、それに対する審議も5回行われている。この間の国連女性差別撤廃員会から日本政府への質問・勧告は多岐にわたり、経済大国日本で政策決定の場に女性があまりに少ないこと、夫婦の98%が夫の姓を名乗っていること、女性のみに待婚期間があることなどに対して厳しい勧告が行われている。1994年の第2回目には、女性の社会的地位、経済的地位が低いことが指摘され、男女雇用機会均等法の遵守、昇進、昇格、賃金について女性が受けた間接差別への対処が求められている。
 この間に日本では、「育児休業法」制定、ILO156号条約「家族的責任を持つ男女労働者の機会及び待遇の均等」の批准が実現したが、選択的夫婦別姓、待婚期間廃止の民法改正は残されたままである。(待婚期間は、その後縮小された)
 当事者を中心としたとりくみとあいまって、「女性差別撤廃条約」という国際基準によって、国内の条約実施状況が審議されるようになり、日本社会の女性差別問題の解決策を広い視野から考えられるようになったといえる。
 さらに、条約にそって1996年「男女共同参画社会基本法」が制定され、これにより様々な社会変革がなされてきた。例えば、いくつかの自治体で条例ができ、その後も多くの自治体で、あらゆる分野で男女平等参画社会を創るため条例制定への取り組みが進められている。

 条約制定から40年余、しかし女性への人権侵害はいまだに社会、文化の中に根強く存在している。加盟国政府に対する「報告制度」は条約履行に重要な役割を果たしてきたが、これだけでは不十分として1999年国連総会は女性差別撤廃条約のパワーアップのために「女性差別撤廃条約選択議定書」を採択した。これにより、人権侵害を受けた女性が、国内手続きを尽くしても救済されなかった場合に、女性差別撤廃員会に直接通報できる制度が定められた。2000年9月発効の制度である。

 日本政府は、女性差別撤廃委員会から再度の勧告を受けているにもかかわらず、「選択的夫婦別姓」制度の実現にも、「女性差別撤廃条約選択議定書」の署名や批准にも未だ消極的である。
 新年は、退職者連合本部、地方組織でこれらを前に進めるとりくみに知恵を出し合えないものかと切に思っている。
 茶飲み話には、ちょっと重い話であろうか。

退職者連合幹事 松本惟子(連合本部退職者の会)