茶飲み話[28]

 日本に駐留する米軍人は、陸・海・空・海兵の4軍を合わせ約36,000人である。そのうちの約70%の軍人と家族、軍属を含む約45,000人が沖縄に駐留している。また、沖縄に駐留する軍人のほとんどは海兵隊だと言われている▼名護市の資料によると海兵隊は敗戦間もない頃から本州に駐留していたが、米軍の演習場や基地問題への反発が強まり沖縄に移駐させたと言う。当時の沖縄は1952(昭和27)年のサンフランシスコ講和条約により日本本土から切り離され、琉球政府としてアメリカ軍政下に置かれていたので、海兵隊の沖縄への移駐は容易であったと思われる。こうして海兵隊は現在の普天間飛行場に居座ることとなった▼いま沖縄県民は政府の名護市辺野古の代替え基地建設に反対し、翁長知事を中心に島ぐるみ闘争を展開している▼去る3月16日、九州ブロックの総会が那覇市内で開催された。翌17日は朝から新基地反対の座り込み行動を激励するため、建設予定地の第一ゲートへ向かった。沖縄県自治退副会長の平良亀之助さんから車内で反対闘争の現状報告を受けたが、平良さんは「新基地反対の運動は第3の琉球処分に対する闘いだ」と説明してくれた▼第1の琉球処分(注)は明治政府が琉球王国を強権的に日本の国の一部としたこと。第2はサンフランスシスコ講和条約により沖縄を日本から切り離したこと。そして100年もの耐用年数をもつ新基地建設は第3の琉球処分だと言う。更に、平良さんは「沖縄ではいま日本からの独立の声が高まりつつある」と言い、経済的にも米軍基地跡地の再開発で現在の何十倍もの収益を上げることができるとも言う。安倍政権が新基地建設を強行しようとすればするほど、沖縄県民の日本からの独立の声が強まるかも知れない▼第一ゲート前で私が挨拶した直後、座り込みテントの奥から私の名を呼びながら出てきた女性がいた。北海道国有林勤務時代の同僚の荒井(旧性米田)さんだった。荒井さんは私よりはるかに若い全林野労組女性部の幹部であつた。北海道十勝の仲間とともに新基地反対闘争の応援に来ていたのである。偶然とはいえ20余年ぶりの再会がゲート前であったことに私は大いに感激したが、平良さんは「平和運動が沖縄から北海道まで繋がっているからこそ再会できたのだ」と一言。軍事基地に立ち向かう沖縄県民の島ぐるみ闘争を共に闘う決意を新たにしたブロック総会であった。(阿部)

(注)琉球処分とは、明治政府が1872(明治5)年それまでの琉球国を廃止して琉球藩を設置。しかし次の廃藩置県に琉球藩が強く抵抗したため、1879(明治12)年政府の「処分官」が警官と兵隊を従えて首里城に乗り込み、実力で琉球藩を廃止して沖縄県を設置した。これにより約500年の歴史を持つ琉球王国は滅び、同年4月4日、日本の一部として沖縄県となった。琉球王国から琉球藩、そして沖縄県を経て日本の一部とした政府の一連の措置を琉球処分と言う。(琉球新報)

[2016/03/30]