茶飲み話[20]
1945年8月15日、わが家に近所の大人達が集まり、雑音のひどいラジオ放送を深刻な面持ちで聴いていた▼私には何のことか理解できなかったが、父は「戦争をやめたと云う天皇陛下のお言葉だ」と教えてくれた。「耐え難きを耐え・・」で知られるあの「玉音放送」であった▼私は戦争に負けたとはとても信じられなかった。学校では毎日のように「君たちはお国を守るために立派な軍人になれ」と叩き込まれ、「日本は必ず勝つ」とも教えられていたからだ。また、長兄は近衛兵、次兄は予科練の通信兵、姉は陸軍病院の看護婦として3人も「軍に奉仕」していたので、父からは戦争に勝つまでは頑張れと云われ、広くて気の遠くなるような3町歩の水田にも入った▼「日本は神の国だから必ず勝つ」と信じていた戦争に負け悔しい思いもしたが、近くの飛行場を標的にしたB29の空襲がなくなり灯火管制もなくなった。安心して通学もできるようにもなったが、兄たちが帰ってくることが何よりも嬉しかった▼最初に近衛兵の長兄が東京から帰還し、姉もまもなく帰った。しかし、次兄は上海に配属された後は音信不通であった。ところが敗戦から1ヵ月ほどして突然帰還した。次兄は父の前に手をつき「戦争に負けて申し訳けない」と、涙を浮かべて頭を下げていた姿を今も記憶している。次兄は上海から本土防衛のため沖縄へ転属されたが、通信兵であったため米軍の沖縄総攻撃の直前に奄美大島へ「疎開」していたのである▼戦争はようやく終わったが食料はじめ生活物資が極端に不足し、国民の暮らしは暗くて貧しいものであった。しかし国民はこうした苦しい暮らしに耐えながら、戦争をしない平和国家として世界の信頼を回復し、荒廃した国土と経済を復興させ現在の豊かな暮らしを築いてきたのである▼敗戦から70年後の今日、安倍内閣の暴走で日本は再び戦争のできる国へ組み込まれようとしている。7月15日、衆議院安全保障特別委員会は、政府が提出した安保関連法案を民主党など野党の反対を押し切り採決を強行したのである。明らかに憲法違反の法律である。2015年7月15日は敗戦の日とともに忘れてはならない日となった▼安倍首相はアメリカの世界戦略に従属し海外で武力行使を可能にすることが国際貢献だと強弁するが、それは逆に日本国民の生命や財産の危機を呼び込むことになるのは明白である。安保関連法案の国会論争で垣間見たように、品位のない野次将軍のような安倍首相、数の驕りと劣化が進む現政権は早々に退陣してもらいたい。(私の戦争体験より:阿部)[2015/07/21]