茶飲み話[21]

 ♪モンテンルパの夜は更けて/つのる思いにやるせない/遠い故郷しのびつつ/涙に曇る月影に/やさしい母の夢を見る―。渡辺はま子と宇都美清が歌って大ヒットさせた「モンテンルパの夜は更けて」という歌である。▼1952年、フィリッピン・モンテンルパのニュービリビット刑務所に多数の元日本兵が収監されていた。B・C級戦犯の判決を下された元日本兵たちで、すでに死刑に処された者もあり、執行を待つばかりの者もいた。それは、終戦から7年、サンフランシスコ講和条約の締結から1年も過ぎてのことであった。▼そんな中で、元兵士たちの帰国を訴えながら教誨師(きょうかいし)として同所で活動していた真言宗僧侶・加賀尾秀忍師が、日本国内の世論喚起のためにと提案し、収容所内で作られた歌である。作詞は代田銀太郎(長野県出身)、作曲は伊藤正康(愛知県出身)の元将校で、二人ともB級戦犯として死刑の判決を受けていた。▼秀忍師からの郵便で楽譜と詞を送られた渡辺はま子は、それを持ち歌に加え、その年12月、国交正常化前のフィリッピンに苦労して渡り、収容者たちの前で歌った。そこには作者の代田、伊藤もいて、いつしか全員で涙ながらの大合唱になっていたという。♪ツバメはまたも来たけれど/恋し吾が子はいつ帰る/母のこころはひとすじに/南の空へ飛んで行く/さだめは悲し呼子鳥-。▼翌年(1953年)5月、キリノ大統領との面会にこぎつけた秀忍師は、渡辺はま子から届いたオルゴールを大統領にプレゼント。日本軍と米軍との市街戦で妻と娘を失くしているキリノ大統領は、「戦争を離れれば、こんなに優しい、悲しい歌をつくる人たちなのか。戦争が悪いのだ。愛と寛容が必要だ」として、7月17日のフィリッピン独立記念日の特赦で全員を釈放した。▼終戦から8年を経て、処刑された日本軍元兵士17柱と108名の元日本兵は1953年7月22日の朝、帰国船「白山丸」で家族が待つ横浜港に接岸し、ようやく祖国の土を踏むことができたのである。♪モンテンルパに朝が来りゃ/昇るこころの太陽を/胸に抱いて今日もまた/強く生きよう倒れまい/日本の土を踏むまでは-。安倍総理、一度この歌を聴いてみてください。そして、こんな悲劇を二度と繰り返さないようにしてください。(良穂)[2015/09/07]