茶飲み話[123]ふたつのボランティア
現役時代の私は決して「仕事人」ではなく、子どもの学校行事やましてや地域の諸行事にはほとんど参加することのない「職域人間」でありました。ところがリタイヤとともに、学校や地域行事に関わることとなりました。(因みに、退職者連合との関係は職域人間であったことに由来したものでした)
朝7時になると制服に着替え持ち場へと向かいます。そう、3年目となった小学生の安全登校の「交通安全指導員」としてのボランティア活動が始まります。およそ750名の全校児童数で、田舎にあってはそこそこの規模の小学校です。そして私の受け持ち児童は10班110名の集団登校となります。
110名の中にいくつものドラマが見えてきます。大半の児童は元気に「おはよう」のあいさつを交わしていきますが、目に涙をためての子やどうしても遅れがちの子がいます。そんな中で昨1年生となった女児は、毎日お母さんと一緒でなければ登校できず心配していましたが、5月になると涙をためながらも他の児童と通学することが出来るようになりました。しかし、休日(休校)明けはお母さんと一緒の登校風景でした。それが夏休み明けからは、その風景もなくなり成長したのだと感じました。今では2年生。ニコニコの登校が続いております。
こんなことを繰り返す日々ですが、一昨年の3月、卒業式が間近になったとある日、6年生の男子児童が「これあげる」と手渡されたものがありました。何かと思い見ると、手書きの6年生一同からの「感謝状」でした。「雨の日も風の日も僕たちが安心して通学することができました」と記されていました。こんな風に思ってもらえていたことに、私が感謝する出来事でした。
いま一つのボランティアは老人会です。校区内に6支部があり、居住地域の老人会に加入して10年あまり、会長を引き受けて5年あまりとなりました。
加入当初は日帰り旅行や道後温泉での懇親会に大型バスで出かけておりましたが、その参加数が年々減少していくのが目に見えてきました。
老人会は「社会奉仕」を謳っていることもあって、毎月の神社清掃や国道沿いの花壇のお世話を行っていますが、これらの参加者も極端に少なくなってきました。会員数が増加しないこともありますが、老いによることが最大の要因です。亡くなる方や歩行が思うようにならず、施設への入居者も少なくありません。
このふたつのボランティアは、子どもはどんどん成長していく反面、老人会メンバーは確実に老いていくという、両極が日々の中で見えてくることです。
さて、自分もいつまで続けられるのかと思う今日この頃です。
四国ブロック幹事 織田 等 (愛媛退連 事務局長)