茶飲み話[112] 幸せの定義(ネット時代を考える)

 「おっはよー!」学校に向かう小学生たちに、大きな声で送り出すのが私の朝の楽しみである。子どもたちも、「おばちゃん、おはようー!行ってきまーす」と、大きく手を振り学校に向かう。そんな子どもたちの姿が、ここ5~6年変わった。にっこと小さく笑い、「おはよう」とつぶやく。
 その変化が気になるのは私だけだろうか。
 11月中旬の月曜日に小学校3、4年生に「ネットとゲーム」について講演に行った。講演の冒頭、聞いてみた。「昨日、お家の人と一緒だった?」「1人で、お家にいたよ」ほとんどの子どもが、そう答えた。「お家の人と、お話ししないの?」「ずーと、お話ししてるよ」「夕べも、夜12時過ぎまでお話したよ」「一緒にいなかったんやろ。どうやってお話しするの」私の疑問に、子どもたちはいとも簡単に答えた。
 「ラインに、決まちゅうろう」不思議なことを聞くんやね。とばかり子どもたちは私を見つめた。親とは、会って話をするのではなく、ラインで話をしているからそれでいいというのだ。それが会話、コミュニケーションだという。
 私は、マザーテレサを思い出した。彼女が来日した1981年から、もうすぐ40年が経つ。「日本は、物があふれ裕福であるが、心は貧困である」そう言った彼女の言葉を思い出した。
 「核家族化が進んだ日本の家庭には子どもの部屋があり、部屋にはテレビがあり、あらゆるものがある。子どもたちは家族とではなく、その自分の部屋で家庭にいるほとんどの時間を過ごしている。家族とではなく、ひとりぼっちでいる日本の子どもたちは世界中でもっとも不幸せな子どもたちだ」と言っていたと、先輩の先生から聞いた。
 当時30代前半だった私は、学級経営と子育ての真っ最中だった。はっとして自分の周囲を改めて見つめ直してみた記憶がある。
 私の書斎の本棚の隅に「スポック博士の育児書」がある。40数年前に、最も優れている育児として日本ではすすめられていた。『時間で子どもを育てなさい。食事、昼寝、排便等の時間を決めて実行すること。添い寝はしない。抱き癖がつくとよくないので、抱かないほうがよい・・・』じっくり読んだことがないので、本当にそう書かれているかは定かではないが、まわりのお母さんたちと一緒に私も、その育児書にそった指導と支援を受けた。
 家族の多かったわが家では、育児指導にそった育児ができなくて悩んだこともあったが、母や父が大好きな孫をやさしく抱きしめて育ててくれたことに感謝している。なぜなら、子どもは親に見つめられて、語りかけられて、抱きしめられて育つ中で親に愛されていることを肌で感じ、自分を愛するようになるからである。
 『スポック博士の育児書』で育った子どもたちが、現在子育てに奮闘している。スマホを片手に持ち、ラインやゲームをしながら子どもを抱き、視線を合わさない親が増えているように感じているのは私だけだろうか。歩行器やベビーカーにスマホをつけて子どもを1人でおいている様子も見られる。『愛着障害』という言葉も聞かれるようになった。
 近年『子ども食堂』が、あちこちで開かれ、親が働いていてひとりぼっちで食事している子どもたちに団らんと栄養を提供している。『孤食』から子どもを守る取り組みが行われている。そこは、温かさとやさしさと共有できる素晴らしい場所だと思う。その一方で、最も深刻な『孤食』の子どもたちが増えていることを、私は危惧している。それは、家族と一緒にいての『孤独』である。
 ゲームや無料通信アプリに夢中になり、会話もコミュニケーションもない世界がそこにある。希薄な親子関係。愛着障害、心が壊れかけた子どもたちとおとな。
 2020年5月から、ゲーム依存(ネット依存)が病気として認定され、治療がはじまる。私は、もう一度マザーテレサを思い出した。もしかしたら、日本中の家族が不幸せかもしれない。
高知県退職者連合 副会長 山中千枝子[2019/12/4]