茶飲み話[106]
東京地方裁判所は9月19日、福島第一原子力発電所の事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で起訴されていた東京電力の旧経営陣3人に無罪判決を言い渡した▼福島第一原発は東日本大震災による巨大津波に見舞われ、原子炉3基がメルトダウン。このために47万人以上が避難を余儀なくされた。メルトダウンそのものによる死者は出なかったというが、入院していた施設から避難させられた入院患者40人以上が亡くなった。また、原発の水素爆発によって13人が負傷している▼争点となった、原発事故を引き起こすような巨大津波を予測できたかについて、裁判長は「予測できる可能性が全くなかったとは言いがたい。しかし、原発の運転を停止する義務を課すほど巨大な津波が来ると予測できる可能性があったとは認められない」と指摘▼そのうえで「当時の法令上の規制や国の審査は、絶対的な安全性の確保までを前提としておらず、3人が東京電力の取締役という責任を伴う立場にあったからといって刑事責任を負うことにはならない」として無罪とした▼1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故のあと、わが国の電力関係者や政府関係者は口をそろえて、「国内の原発はチェルノブイリのものとは構造も違うし、万全の安全対策が施されているので、あのような事故は起こりえない」と力説していた。しかし、事故は予期せぬときに予測できぬ形で起こるもの。「想定外」だからトップに責任が及ばないというのなら、企業の社会的責任とはいったい何だろう▼「無罪判決」を受けて実感させられるのは、日常生活の大部分を電気・電力に頼らざるを得なくなっている国民が、国のエネルギー政策のゆえに、電力会社に生殺与奪権を握られているということである。故郷を追われて8年余、いまなお帰りたくても帰れない避難民が3万2,000人。放射性物質を含む汚染水を保管するタンクは、3年後の2022年夏ごろには満杯になるというのに、その処理方法も決まらない。これが「安全・安心の国」の実像なのだ。(良穂)[2019/9/24]