茶飲み話[45]
♪どこかに故郷の香りを乗せて 入る列車の懐かしさ 上野はおいらの心の駅だ くじけちゃならない人生は あの日ここから始まったー。上野駅の広小路口、山手線ガード下に近い一隅に「あゝ上野駅」の歌碑がある。平成13年7月に建立されたものだが、それには次のような一文が刻まれている▼『高度経済成長期の昭和30年代から40年代、金の卵と呼ばれた若者たちが地方から就職列車に乗って上野駅に降り立った。戦後、日本経済繁栄の原動力となったのがこの集団就職者といっても過言ではない。親元を離れ、夢と不安を胸に抱きながら必死に生きていた少年・少女達。彼らを支えた心の応援歌「あゝ上野駅」は、昭和39年に発表され、多くの人々に感動と勇気を与え、以後も綿々と歌い継がれている』-▼そして碑には、18番線に降り立った少年・少女たちが蒸気機関車の横を一群となって改札口に向かう姿が刻みこまれ、同じ構図の写真が焼き付けられている。詰襟の学生服やセーラー服に身を包んだその顔は、どれもみな幼顔である▼時は流れて半世紀余り。就職列車はなくなり、長野新幹線の開業に伴って18番線も廃止された。中学卒が高校卒や大学卒に、学生服、セーラー服がスーツやカジュアルに、そして幼顔がひねこびた青年の顔に変わったが、若者たちの仕事を取り巻く状況はいっそう悲惨であり深刻である▼あの朝、上野駅から関東一円に散らばっていった少年・少女たちも今では60歳代後半から70歳代。学歴社会の厚い壁に苦悶・苦闘しながらも、「まじめに働いていれば、きっといつかは報われる日が来る」と信じて生き抜いてきたそれぞれの人生▼そんな彼ら、彼女らが長い年月をかけて積み上げてきた“ささやかな幸せ”を、無策な政治の大波が翻弄している。「希望の時代から失望の時代に変わった」と指摘する向きもあるが、まじめに働き続けても“ささやかな幸せ”さえ手にすることができない社会はまともではない。(良穂)[2017/02/20]