茶飲み話[44]
2月10日は、連合の初代事務局長・山田精吾さんの21回目の命日である。1996年(平成8年)のこの日、山田さんは宮崎市の自宅近くで自転車に乗っていて、交通事故に遭い亡くなった。65才であった。♪今日も見知らぬ町を 歩き歩きつづける 足あといっぱい仲間を訪ね あふれる喜びを抱き ♪ふるさと離れし乙女 機場(はたば)の灯かりは暗し 救いのオルグ声高けれど 応えなき面(おもて)悲しや ▼昭和30年代の後半から40年代の初期にかけて、全繊同盟(現UAゼンセン)のオルガナイザーの間で盛んにうたわれていた「オルグの歌」である。小林旭のヒット曲「北帰行」の替え歌で、詞は何人かの仲間による合作ともいわれていたが、実際は当時10人ほどの組織オルグの中心にいた山田さんの作というのが真実である。「オルグは酒を飲め、歌をうたえ、自分の“オルグの歌”を持て」が、当時の山田さんの口癖だった▼だからというわけでもないが、そのころのオルグは実によく飲んだし、歌もうたった。全国に散らばって未組織労働者の組織化に苦闘しているオルグ、月末には東京・市ヶ谷の本部事務所に帰ってくる。夕方、情報交換や打ち合わせが終われば、全員で繰り出す先はいつも決まって渋谷か新橋、新宿などのガード下。曲尺(カネジャク)形のカウンターに、椅子の数より多い頭数で押しかけ、頭上を電車が通るたびに体もコップも揺らしながら安酒を酌み交わし、高唱する。カラオケもなければ伴奏もない。はやり歌あり民謡あり、みんなが知っている歌を競い合うようにして声を張り上げる。苦労を共にしている“同志”を実感するひと時である▼やがて誰からともなく肩を組み、「オルグの歌」の全員合唱が繰り返されるころになれば終電の時刻・・・。翌朝、オルグたちは大きなバッグを肩にかけ、再びそれぞれの地に散って行く。今日も見知らぬ町を 歩き歩きつづける 足あといっぱい仲間を訪ね あふれる喜びを抱き~。労働運動が低迷気味の昨今、山田さんの歌声が聞こえてくるような気がする。(良穂)[2017/02/13]