茶飲み話[110]

 「政治家に正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれと言うのに等しい」―。そんな「迷言」を残したのは、警視総監を経て参議院議員となり、1982年、第一次中曽根内閣で法務大臣を務めた故・秦野章氏である▼11月6日の衆議院予算委員会で、野党議員が「一週間に二人の閣僚辞任という重大な事態について、どのような責任を感じ、どのように責任を取ろうとしているか」と質した。安倍総理は、「私が任命した大臣が、わずか1カ月余りで相次いで辞任する事態となったことは、国民の皆さまに大変申し訳なく、その責任を痛感している」、「行政を前に進めていくことで責任を果たす」と答弁▼角度を変えて質問しても、責任の取り方には触れず、一つ覚えのように同じ答弁を繰り返すばかり。加えて、質問者が「加計学園」による獣医学部新設をめぐる問題で、文科省内で作成されたメモを取り上げ、「誰かが作ったもの」と内容の真偽を質していたところ、安倍総理が自席から「あなたが・・・」などと声を上げる始末である▼そんな総理の不規則発言に、「なぜ、私が作れるのか」と質問者が語気を強めて抗議すると、「誰か分からない中では誰だって可能性があり、あなただって、私だってとなる。そういう趣旨をつぶやいた」と、これまた次元の低い、意味不明な言葉で開き直っている▼これまでも、閣僚らの引責辞任や疑惑報道のたびに繰り返されてきた「もとより任命責任は総理大臣たる私にあり……」という言い回し。まさしくそれは、責任逃れのための常套句になっているようで、言葉の重みがどんどん軽くなり、甲高い声だけが空々しく聞こえてならない▼「行政を前に進めていくことで責任を果たす」と言いながら、国会で平然と嘘を言い、公文書の隠蔽・改ざんを行い、近親者への利益誘導を図り、議論に窮すれば捨て台詞を吐いて開き直る一国の総理大臣。厚顔無恥というか、知性も品性も感じられないその実像に、故・秦野章氏の言葉がやけに印象的である。(良穂)[2019/11/11]