茶飲み話[118]
70歳に近いころからさっと眠りにつけなくなった。また、夜中に目が覚めてトイレに行くことも多くなった。それで布団の中で眠くなるまで本を読む癖がついた。好きなのは歴史ものと時代小説で、枕元に読みさしがいつも何冊か積んである。
あるとき本屋で立ち読みしていたら、初めて目にする作家の時代小説があった。それが佐伯泰英の『密命』の第1巻の初版本であった。私は芥川龍之介や柴田錬三郎の文体が好きだ。艶のある匂うような文体で人物や背景を眼前に表出する。『密命』もそうであった。この本が彼の時代小説の第1冊目で、以降10種類以上のシリーズものを並行して書くようになり、文庫書き下ろし時代小説というジャンルを確立することになる。2年前に菊池寛賞を受賞したが6千万部を超える売れ行きだ。
近年亡くなった桝本 純君は連合、連合総研時代の仕事仲間であり、飲み友達であった。聡明で知略に富み、かつナイーブな男だった。喫茶店で会って最近面白い本はないかとの話になって佐伯の話をし、持っていたものを読んでみたらと渡した。2番目のシリーズものの『居眠り磐音』だったかもしれない。1年以上過ぎたころ飲み話の中で「野口さん、僕は佐伯の本を全部読んでいるよ」と突然告白した。あっけにとられたがそれだけではない。しばらくしてから私の読んでいないあるシリーズの1巻から最新版まで十数冊の新刊本がドサッと届いた。忘れられない友だ。
時代物の面白さは主役の剣豪の旅にある。行く先々の歴史、文化、人物がドッサリ盛り込まれている。仕事で出張するとできる限り時間を作りこれらを追って歩く。
余談だが、毎日寝ながら本を支えて見ていたせいか、左の人差し指の根元に大きなこぶができた。悪性かもと不安になって病院に行ったらガングリオンだという。関節の潤滑液が漏出してたまったのだという。注射針で抜き取れば手当は終わりで、見せてもらったら真っ白いゼリーでうまそうだ。しばらくするとまた溜まるが医者はゼニにならないので喜ばない。
最近は松田壽男氏の『砂漠の文化』(岩波書店)を1週間以上かけて読んだ。中央アジアの地図をカラーコピーし、横目で見ながら読み進む。昼間にパソコンで地名や人物、民族などの背景・歴史を調べる。たとえば「突厥(とっけつ、チュルク)」。チュルク族はモンゴロイド系だが様々なスタン国やトルコ人の祖先だ。ウィグル族もここから派生する。行ったことのない天山山脈やタリム盆地が夢をかき立てる。だが東西を問わず世相や歴史を共に語り合える友はもういない。
退職者連合副会長 野口敞也