茶飲み話[117]新型コロナウイルス禍に思う

 今日は5月1日、メーデーである。日本では、ちょうど100年前にメーデーが始まったそうで、本当であれば今年は従来にもまして代々木公園など各地の会場にたくさんの人々が集まり、労働者の祭典が盛大に催されるはずだったであろう。しかし、先月29日に行われた連合主催の中央メーデーは、メッセージ配信によるWeb開催となった。「三蜜」を避けるためとはいえ、かつて労働運動に携わってきた身としては、残念としか言いようがない。
 それにつけても、新型コロナウイルスだ。1月中旬に日本人で初めて感染者が確認され、一気に拡大してからは、それまでのどことなく対岸の火事的な雰囲気が一転し、新聞もテレビもそして日常会話も、まずは「新型コロナ」が枕詞になった。そして、「入国禁止措置が遅れた」だの、「CPR検査数が少ない」だの、挙句の果てには不良品が相次いでいる「アベノマスク」だのと、安倍政権に対する批判的な声が高まっている。安倍政権を擁護するつもりはさらさらないが、なにせ今回の新型コロナウイルスは、世界中で2000万人~4000万人が、日本国内でも約40万人が死亡したとされるスペイン風邪以来のパンデミックと位置付けられている。日本が執ってきた対策が、世界のそれに比較して有効・妥当なものかどうかは、それこそ歴史が証明してくれよう。安倍政権に対する評価は各人の心の中に秘めておき、感染者数をこれ以上拡大させないために自分たちはどんな行動をすべきか、まずはそのことに専念すべきだろう。
 政府が、7都府県に対して緊急事態宣言を発令したのが4月7日。多くの国民が不要不急の外出を避け、また企業も試行錯誤しながら在宅勤務を奨励し始めてからそろそろ1ヵ月が経つ中で、さまざまな変化を感じ取ることができるようになった。スーパーや食料品店には多くの買い物客が集まるが、それ以外の場所では、電車やバスは言うに及ばず、街中も人影はまばらで様子が一変した。スポーツジムや図書館といった公共施設、飲食店などのほとんどが休業となって、これまでいかに多くのことを、当たり前のように享受できていたかに気付かされる。国民のニーズに応えるために、現在の状況下でも心無い誹謗・中傷にも耐えつつ激務をこなしている方たちが存在するということも含めてである。
 感染者数の増加ペースは一進一退の状況が続いている。6日までとしている緊急事態宣言の延長も言われているが、宣言を解除し経済活動全般を再開しなければならない日は必ず訪れる。新型コロナウイルス禍で感じ取ることができた様々な気づきは、日本人が持つ社会観や価値観そして生活様式を見つめなおす契機になるのではないか、改めてそのように思う。何はともあれ、今はただ、一日も早い収束を願うばかりである。

退職者連合副会長 宮園哲郎