茶飲み話[49]

 人手不足といわれながら不安定雇用労働者の数は減らない。労働者が物扱いされ、長時間労働や休日に絡む法令違反が横行し、精神疾患者や過労死、自殺者まで出ている。こんなときだからこそ労働組合の出番なのに、残念ながら労働運動・労働組合の存在感は日々に薄れるばかり。見るに見かねてか、政府・与党が「働き方改革」を主導している▼10年余り前のことだが、知日派で知られるロンドン大学のロナルド・ドーア名誉教授が、その著書「日本型資本主義と市場主義の衝突」で、わが国の労働組合にも触れ「労働組合のリーダーは、企業の中で低い階層に属する人々の労働条件や、生活条件への影響に十分な考慮を払わないような経営陣の決定を阻止したり、引き伸ばしたりするという現実的な機能を果たすことをせず、(中略)株主の主権を回復しようとする動きを脅威と見て反応することもあまりない」と述べている。それを鵜呑みにしたつもりはなかったが、今日の状況を見れば「ほぼ的中していた」といえるだろう▼産業・企業の状態がうまく行き、労働組合がそれほど力まなくても労働条件が向上し雇用が安定していた時代から、いまは様変わりである。世界にその名轟く名門企業が上場廃止の瀬戸際にあり、外国資本に身売りした著名企業もある。職場では長年培ってきた労働・環境条件があたり前のように無視され、精神疾患者が続出し、過労死や自殺者が出ても、労働組合が率先して改革・改善に立ち上がっている姿は見えてこない▼産業構造や就業形態が変化し労働組合運営が難しくなった、高学歴化・個性化が労働者の連帯を阻害している、国際競争や同業他社との競争を口実にした経営側の攻勢に抗しきれないなどなど、労働運動・労働組合が存在感を失っている要因はいろいろあるだろう。しかし何といっても、労働運動・労働組合を業とする人たちから、「権力の不正や理不尽に対する怒りや抵抗の精神」が感じられなくなったことが大きいのではないだろうか。いつの時代でも労働運動は「社会を改革する力」であり、改革の運動は常に少数から始まることを忘れてはならない。(良穂)[2017/04/03]