茶飲み話[61]
民間先行による労働界の統一で、通称「民間連合」が結成されたのは1987年11月、今年で30年を迎えた。そして2年後の1989年11月には、官民統一による「連合」が誕生した。官民統一連合の誕生は、日本の労働運動・労働組合の壮大な力合わせといわれ、「力と政策による新しい運動のスタート」として労働関係者だけでなく、政界・官界・経済界からも好感をもって受け止められた▼「力と政策による新しい運動」とは、それまでの労働4団体(総評・同盟・中立労連・新産別)が競合するなかで、総評系労働組合を根強く覆っていた極端な政治的イデオロギーや、「とにかく要求し闘いとる」といった運動スタイルから脱却。労働組合自らが「政策を立案し、提言し、実現させる力」をもった運動ということである▼官民統一から間もなく30年。連合の政策・制度要求は多岐にわたり、国民生活のあらゆる分野に及んでいる。国の政策決定の場への参加も、連合の役職員を中心に延べ240人を超えている。しかし「要求と提言は立派だが、それを実現させるための運動力に欠ける」と指摘する声もある。どんなに立派な政策や提言も、実現に結びつけるための力や運動がなければ絵に描いた餅に等しい▼連合が掲げる「労働を中心とした福祉型社会」や「働くことを軸とする安心社会」は、労働運動・労働組合の目的そのものである。しかし、それを具現するには、勤労国民が理不尽と思っているさまざまな問題や課題を素早く察知し、社会的共感を得られる運動として取り込むことができるかどうかである▼どちらかといえば、そうした運動は、自由にして民主的な労働組合にとっては苦手としてきた分野だったかもしれない。しかし、堀の外、塀の外の運動へ足を踏み出すことができなければ、いつまでたっても労働運動・労働組合への社会的共感と信頼は得られない。1996年2月、連合の初代事務局長・山田精吾さんは「経済闘争が難しいときは政策で取れ」という言葉を残して逝った。(良穂)[2017/12/12]