茶飲み話[129]東日本大震災から10年
わが国における大震災といわれるのは、「関東大震災」1923年(大正12年)1月17日発生で犠牲者数10万5千人、「阪神・淡路大震災」1995年(平成7年)1月17日発生で死者63,400人、住宅被災数(全・半壊)369,000棟、「東日本大震災」2011年3月11日発生で死者15,800人、住宅被災数(全・半壊・焼)399,000棟、(その他被災状況は省略)となっています。
この三大大震災の特徴は、関東大震災は広範囲の火災よる「火災死87.1%」、阪神・淡路大震災は直下型揺れの激しい建物損壊による「圧死・損傷死83.3%」、東日本大震災は大規模津波発生による「溺死92.4%」に分布され、地震による火災や住宅崩壊、大津波の恐ろしさを物語っています。
ちなみに、我が父親は関東大震災の時、東京・木場で働いており大震災を目の当たりに命からがら故郷岩手県遠野に逃げ帰り、その後地震の度に苛まれるということを子供心に思い出されます。
東日本大震災はマグニチュウド9.0の強度の地震で、西は神奈川県から東は北海道の一部にまたがり太平洋沿岸650キロの地域におよぶ地震、大津波、加えて原発事故と日本の歴史上最大・最悪の災害をもたらしています。
東日本大震災から10年経過し、特に被災の大きかった福島・宮城・岩手の三県の復旧・復興状況は資材や人材不足などにより復興再建計画からは遅ればせながらも事業は進み、個人住宅建設は未だに残されているものの、建設計画最後の公営住宅建設が内陸盛岡に建設され、200世帯がこの令和3年2月から被災者の入居が始まっています。
ただ、未だに行方不明者2,636人、家族にとって日常生活への負担や精神的苦痛は癒えず、また、復旧・復興に向けた課題は多く残されています。
今後の大津波に対する防災として、高さ7~9mにおよぶ防潮堤の建設が進められていますが、防潮堤の効果は大自然の底知れぬ力からして「人命や生活基盤」を守ることにあらずということを肝に銘じ、日常の避難訓練を怠らない心構えが必要とされます。
大震災からの教訓と言えば、先人の教えとして「この地より下に家を建てるべからず」という明治29年「三陸大津波」(死者22,000人)の「碩史」が未だに残されており、「津波への備え」としてあげられています。
東日本大震災からの復旧・復興事業では、行政機関や住宅地は高台に、産業施設は平坦地の活用など大別され、「街づくり計画」は福島、宮城、岩手でそれぞれ着々と進められています。
ただし、福島県の原発事故からの復旧・復興は極めて難しい状況に置かれ、産業の衰退、住民の離散、風評被害など多くの問題が山積みとなってなり、「魚を捕っても、野菜を作っても売れない」など、福島県民は多くの苦境に立たされているのが実態にあるといえます。
「災害は忘れた頃にやってくる」と言われますが、先人の知恵に耳を傾け、日頃怠りなく災害への備えを忘れず、コロナに負けず、明るく・楽しく・元気に暮らしを謳歌しましょう。
“ 津波てんでんこ ”
〈津波の時は、親も子もかまわずバラバラに逃げるよう促す三陸の言葉〉
東北ブロック幹事 丹野 充喜(岩手退連事務局長)