<今回のお達者さん>
滋賀退職者連合 会長
増田勝治さん(72歳)
 (UAゼンセン友の会)

五・七・五・七・七の言葉の美しさに魅了され…

増田 勝治さん

増田 勝治さん

 かるたを始めたのは1975年です。息子(長男)と共に公民館活動「大津あきのた会」に入会したのをきっかけに、本格的に競技百人一首を始めました。
 もともと学生時代から古典・文学に興味を持ち、現在でも、社会科資料集などが私の愛読書です。近年、「声に出してみたい日本語」(著者:齊藤孝)で暗誦・朗誦文化の楽しみを説かれていますが、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」の一文、「ああ、おとうとよ、君を泣く、君死にたまうことなかれ」や福沢諭吉「学問のすすめ」の一文、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といったリズミカルな文章に魅了されました。百人一首をきっかけに、五・七・五・七・七のリズムにのめり込んだのです。
 「一日三首覚え、一ヶ月で百首」を目標に、土曜日は午後5時から9時まで猛練習。日曜日は競技百人一首の大会参加という日々が何年も続きました。
 会社生活は入社以来、研究開発に従事し、炭素繊維や矯正レンズなどの開発を担当しました。残業・休日出勤などが当たり前のモーレツ社員でした。1986年には、東レ労働組合滋賀支部の専従役員に就任し、川端達夫代議士の誕生にも携わるなど忙しい毎日を送っておりました。
 一方で、競技百人一首の活動も継続しました。1993年に「大津あきのた会」会長に就任するとともに「滋賀県かるた協会」会長になりました。退職後は、2006年に「日本高等学校かるた連盟」会長に就任し、滋賀県のみならず、全国かるたマンを育てる活動に全力投球してまいりました。

かるたの聖地「近江神宮」…、「ちはやふる」で一大ブームに

 競技かるたがまだまだマイナーな競技であった1979年に滋賀県で高校総体が開催され、当時、会長をされていた私の師である中西秀三先生の発案で「かるた甲子園」を企画。運営費集めに苦労しましたが、必死で企業からの協賛金を募り、全国から8校の参加を得て開催にこぎつけました。これをきっかけに競技かるたは年々隆盛を極め、2016年の大会では56校、個人戦で史上最高の1,532名が参加するまでの大会になりました。高校の大会だけではなく名人戦などが行われる近江神宮は、「かるたの聖地」と呼ばれるようになりました。

「かるたの聖地」近江神宮でかるた奉行を務める(右から3人目が増田さん)

「かるたの聖地」近江神宮でかるた奉行を務める(右から3人目が増田さん)

 そして、高校かるたマンの青春物語を描いた漫画「ちはやふる」(作:末次由紀)にて近江神宮・勧学館が実にリアルに描かれ、2016年に滋賀県大津市での撮影を中心に映画化されました。滋賀県や大津市の各種イベントや京阪電車のラッピング電車など一大ブームとなり、競技かるたは一段と盛んになる様相を呈しています。

白熱するクイーン位決定戦に立ち会う(右から3人目が増田さん)

白熱するクイーン位決定戦に立ち会う(右から3人目が増田さん)

競技百人一首のさらなる躍進を目指す

  競技かるたを始めて40年…。始めた当時はこんなにブームが起こるとは想像できませんでした。指導者に恵まれ、良き応援者を得て活動させていただけたおかげです。
 なによりも底辺の拡大を目標において、活動を進めてきた「大津あきのた会」も、10名足らずの会員が今や300名程にまで増えました。これは私にとって何よりも喜ばしいことです。
 今後は、名人・クイーンを当会から輩出すること、高校選手権大会で滋賀県の高校を優勝させること、高松宮記念杯で優勝させること、これらの大きな目標を掲げ選手の育成と大会の運営に全力で努力をしていきたいと思っております。

2016年2月19日「京都新聞」特集記事で活動が紹介

2016年2月19日「京都新聞」特集記事で活動が紹介