高校野球審判員として日々元気に活躍中

<今回のお達者さん>
小崎 允義(こざき・まさよし)さん(79歳)
(JP労組退・中国・岡山連協)

高校の先輩の誘いを受けて

野球大会で審判する小崎充義さん

野球大会で審判する
小崎充義さん

私は、1999年に岡山中央郵便局を退職し、その後、約10年間岡山県玉野市内の特定郵便局2局に不定期に勤務しました。
野球の審判員を始めたきっかけは、1972年に家を建てて転居した際、高校の先輩から「審判員が足りないので一緒にやらないか」と声をかけられたことからでした。子どもの頃から草野球を楽しんでいたので、ふたつ返事で参加させてもらいました。早朝野球は、市民参加の行事として盛り上がっておりました。
2009年には、岡山市で開催されたJP労組野球大会全国大会に審判員として参加しました。在職時には、選手で支部予選、県大会にも参加し、今もJP労組野球大会に審判員として携わっています。現在、県大会の審判員は全て退職者の会員で担っています。現職や連協会員から「いつまでも元気だな!」と声をかけてもらい、それが励みになっています。

活動が認められ高校野球の審判に

高校野球とのつながりは、玉野地区での日々の活動が認められ、1974年に推薦され、夏の岡山県大会に出場したことから始まりました。この年の大会には高校野球で初めて金属バットの使用が導入され、そこに参加出来たことと、多くの郵便局員が審判員として活躍している姿を見て驚いたことなどが、今でも強く記憶に残っています。
高校野球審判員の活動では、毎週参加が困難な若い人の穴を埋めるのが年金組といわれる我々の役目です。現在も練習試合の球審だけで年間50試合に参加しています。
年齢と共に体調維持が大変で、水分を多めに持参し試合途中での水分補給に一番気を付けています。今年も、道具一式をバッグに詰めて高校球児のため、体に鞭を打って頑張りたいと思っています。

小崎さんの活躍を伝える新聞記事

小崎さんの活躍を伝える新聞記事

JP労組退職者の会情報紙『つなぐ心』掲載「第7回ただいま熱中夢中」より