(今回のお達者さん)
新潟県退職者連合
糸魚川地域退職者連合
会長 猪又 好郎さん

地域退連できて19年

猪又さん

 今の組織の前身である糸魚川地域高齢者協議会が地元「連合」からの強い要請を受けて結成されたのは2000年です。地域労組に退職者組織があるのは、昔の官公労のみで、市職労と教組は互助会のような組織があったが加入を断られ、その後の対策もうまくいかず、当初の6団体のみの活動が続いています。最近、民間労組に退職者組織を結成する方向で現役「連合支部」と話し合いの緒についたばかりです。
 

糸魚川市は日本で唯一のヒスイの原産地

 糸魚川市は県の最も西にあり、西は富山県、南は長野県に接しており、北は日本海に面しています。車で上越市に行くにも国道8号1本しかありません。安曇野北部へ行くのも国道Ⅰ48号1本だけ。海抜ゼロメートルから県内最高峰3千メートル近い少蓮華山に県内唯一の活火山・焼山があります。人口4万2千人、高齢化率39,3%の小さな市です。
 北陸新幹線の停車駅がありますが、新潟市には行けません。新潟市に行く直通の特急電車は一本もなく、新潟市に行くより金沢市に行くほうがが速い。市民の交流も長野県安曇野地方や富山県東部の黒部や魚津が多くみられます。
 文化・慣習では東日本と西日本の境目で、正月の雑煮の餅は「角」と「丸」、魚も「鰤」と「鮭」が家ごとに混在しています。言葉も言語学者が「ここが東西言語の境目」と指摘できるという。例えば「橋」のアクセントのつけ方で後ろの「シ」を強調する人もいます。富山の影響を強く受けている人の越中弁と頚城弁が普通に会話しています。

伝説の「奴奈川」姫の像

 「古事記」に古志の国奴奈川郷(上越、糸魚川地方)を治めている、賢く美しい「奴奈川(ぬながわ」姫」の噂を聞いた大国主命が訪ねてきて、結婚を申し込む「相聞歌謡」がのっています。
 ヒスイ(魔よけや霊力を持つと信じられていた)玉をあやつる巫女が奴奈川姫です。ヒスイ(霊力のある石)をあやつる巫女(奴奈川社)と大国主命(出雲大社)が結ばれて、生まれた御子が建御名方命(タケミナカタノミコト)で、後に大国主命の「国譲り」に反対し天神と争って敗れて、長野諏訪大社の祭り神になったと神話が伝えています。日本で唯一のヒスイの原産地が糸魚川にあります。

糸魚川を流れる姫川。ヒスイの原石が流れてくる。

 硬いヒスイ原石を加工し、石斧等の道具や魔よけの「まがたま」にする技術は、縄文時代中ごろ(5000年前)には確立していたようで、その頃の玉造遺跡から多くの加工途中のヒスイが出てきました。ヒスイの「まがたま」は北海道から九州まで分布し、縄文時代から弥生時代の遺跡から出土しています。その分布から交通の発達していない時代にどの様にして伝播していったのか不思議です。

筆者が拾ったヒスイの原石

 ところでヒスイ石は永く日本では産出せず、遺跡から出土するヒスイは外国からの輸入されたものと考えられていました。それを覆したのが、糸魚川出身の故「相馬御風」(童謡・春よこい、早稲田大校歌・都の西北の作詞者)です。
 友人の学者と共に、姫川の支流、小滝川の近くの住民から、川で拾ったと美しい緑色の石を見せられ、ヒスイと見抜き、この川の上流にヒスイの原石があると指摘したのです。その後、川の中に原石の巨岩が見つかり、小滝川の上流がヒスイ峡と命名され名所となっています。研究の結果、各遺跡から出土したヒスイの「まがたま」は糸魚川産であることが判明しました。今でも運が良ければ、海岸で拾えます。このほど「国の石」に糸魚川ヒスイが認定されました。

太古の争いを再現する「ケンカ祭り」

 天津神社(天神)と奴奈川(地神)神社を両方奉る宮の境内で「ケンカ祭り」(毎年4月10日・写真)と呼ばれる二体の神輿を激しくぶつけ合い、押し合い、疾走する勇壮な祭りがあります。
 古代の中央権力と地方部族の争いを思わせる祭りです。祭りの最後に競走で優劣を決めますが、走る距離は一方が短いから早く着く。この位置を一年ごとに交代する、勝っても負けても、豊作と豊漁を祈願したと、両方で勝利の勝ちどきの声をあげ続け、どちらかが止めない限り続く。優雅な舞楽も行われます。太古の争いを再現し、征服しても、されても共存共栄を図る祈りの祭りの様にも思えます。
 糸魚川は、海の幸と山の幸が豊富にあります。アンコウ、紅ズワイガニ、甘えびは有名です。ぜひ一度、新潟県の最西端の糸魚川へおいで下さい。

新潟県退職者連合ホームページ「どっこい甚句」(2019年3月14日より)