【山梨県】「ありがとう」の一言に心温まる

(今回のお達者さん)
JR総連OB連絡会
加藤 秀八さん(78歳)
(JR東労組八王子地本OB会)

甲府城ボランティアガイドとの出会い

元気にボランティアガイドの活動に励む加藤さん

元気にボランティアガイドの活動に励む加藤さん

私は現在、山梨県甲府市にある「甲府城のボランティアガイド」をしています。ガイドを始めたきっかけは、酸性雨のモニタリングをしていた時に甲府城のボランティアガイドさんの姿を見た事からでした。私は、現役時代はJR中央線の電車運転士をやっておりました。そして退職後は、OB会や平和運動に参加して活動をしていました。しかし年齢を重ねるにつれ、「枠」内での運動から飛び出してみたいとの思いに駆られました。そうした時に、山梨県が推進している高齢者や退職者の「勧学院」「大学院」制度がある事を知り、そこで4年間学ぶことにしました。
学習内容は多岐に亘り、多くの見識者から講義を受けて見聞を広めました。また受講生も元公務員から農業をやっていた人などバラエティーに富んでおりました。最終年には「卒論」があり、私は興味のあった環境問題から「酸性雨について」をテーマに選んで発表しました。そのため1年間かけて山地や耕地、河川、湖などの酸性雨のモニタリングをしました。その時、一年中枯れることのない水ダメが甲府城内にあることを知り、その調査に行きました。「甲府城のボランティアガイド」の存在を知ったのはその時でした。卒業後もその時の事が忘れられず「よし、この活動をやってみよう」と決意しました。5ヶ月間の研修と実習を受けた後、私のボランティアガイド活動が始まりました。それからもう8年が経ちました。

鉄門、櫓、曲輪などが復元

甲府城は1582年に武田氏が滅亡した後、豊臣秀吉によって徳川家康の見張り場所として築城されたと云われています。その後、1600年の関ヶ原の合戦で豊臣が徳川に敗れ、甲府城もその支配下に入りました。江戸城を構えた徳川家康は、西からの防御として甲府城に力を注ぎ、関東では一番大きな城としてその地位を築いてきました。
1705年5代将軍綱吉の側仕として人望の厚かった柳沢吉保が甲府城の城主となり、柳沢吉保、吉里親子の城主時代の20年間が一番栄え、城下町も発展したと云われています。しかしその後、1868年の戊辰戦争によって板垣退助らに攻められ、無血落城となりました。
そして明治時代に入り、廃藩置県の令により城の取り壊しが始まり、その跡地に甲府駅や山梨県庁などが建設されました。その後、平成の時代になって門、櫓、曲輪などが復元され、築城期の三分の一ぐらいが現在の甲府城となっています。

鉄門=くろがねもん

鉄門=くろがねもん

稲荷櫓

稲荷櫓

「甲府城ご案内仕隊」発足で活動がスタート

甲府城案内のボランティア活動の歴史は、15年ほど前にさかのぼります。山梨県が県内にある史跡、文化財の地を訪れる観光客に対して案内をするボランティアを育成する方針を決め、その先駆けとして「甲府城ご案内仕隊」が組織されたのです。案内仕隊の隊員は毎年募集され、現在約70名が登録されています。その内、実際に活動をしている隊員は約50名で、その人達によって運営されています。

ボランティアガイドの仲間たち

ボランティアガイドの仲間たち

甲府城を訪れる観光客のほとんどは県外の人達なので、案内する時間は2時間から短い人で30分くらいとまちまちです。ですから案内する場所も、復元された門や曲輪(くるわ)、櫓、石垣など時間によって変えています。その他、観光客の要望に応じて、山梨県の観光名所なども案内しています。

「ありがとう」に心温まる

私にとってこのボランティアガイドの活動は、OB会や平和運動と共に第2の人生の生き甲斐になっており、ガイドをする日が楽しみになっています。甲府城の案内に始まり、お客様と交わす世間話や雑談もこれまた楽しみの一つで、人間の心の触れ合いを感じます。何と言っても、ご案内したお客様の別れ際の「ありがとう」の一言には、本当に心が温まります。
さて来週はどんな人と出会えるか、今から楽しみです。

<観光ボランティアについてのお問い合わせ先>
財団法人やまなし観光推進機構
TEL 055-231-2722