詩や随筆、農作業に親しみ、ボランティアにも参加
(今回のお達者さん)
埼玉農水省退職者の会
萩原光之さん(72歳)
「どんな品物が出て来ても決してけなす事のないように。米も麦も半年も手間をかけて収穫して検査に出て来るのだから。注意する時は小さい声で、褒める時はみんなに聞こえるように」と先輩に教わった萩原さん。「この一言が無ければ、私は生産者の心も考えない、鼻持ちならない検査官になっていた」と食糧事務所時代を振り返る。退職後も趣味やボランティア活動に汗を流す萩原さんを紹介します。
Q.詩や随筆の創作がご趣味とのこと
高校の文芸部で詩などを書き、就職してからも青年学級等で活動してきました。作品も増え「南風」という詩集を100冊作りました。その後、結婚して子供も生まれ、創作から遠ざかっていました。
どこかで詩集「南風」を読んでくれていた同僚の菊池さんから、「今でも書いていますか」と聞かれ、「全く書いていません」と答えると、「詩を書いていない萩原さんは萩原さんじゃない」と言われました。
素晴らしい一言でした。「ひと月以内に一つ作って」とも言われ、苦し紛れに作ったところ、組合役員を務めていた菊池さんが機関誌に載せてくれたんです。それからは随筆も書きはじめ、農林新聞の作品募集にも毎年投稿しました。
定年前にはかなりの作品数になり、女性の同僚から「退職記念に本にして配って」とおだてられ、「陽だまりの唄(詩と随筆と)」という冊子を500冊作成して方々に配りました。そうしたら、「農村と平和通信」という機関誌の発行者から原稿依頼がきて、それが縁でその誌の朗読会にも参加しました。11年経ちますが、この誌のおかげで私の作品は生まれています。かなりの作品がたまり、もう一冊自費出版したいものだと小さな期待を膨らませています。
Q.作品からはご家族や市井の人々の暮らしなどへの〝優しいまなざし〟を感じます。ひとつご紹介ください。
そうねぇ
心に残っている人と言えば
酔っぱらいが電車の中で
ゲロを吐いてしまって
乗客はその場から逃げる中
「誰か読み終わった新聞ありませんか」
そう言って新聞で隠した二十歳位の
女性がいましたねぇ
その後自分のティッシュを出して
酔っぱらいの口と
汚れた背広を拭いていました
客の何人かも
ティッシュを差し出してくれて
彼女は口や背広の汚れを拭くと
汚れたティッシュを新聞紙の下に置き
別の車両に移って行きました
それだけの事でしたが
あの時のあの彼女が
どうか幸せであって欲しいと
今頃になって強く思いますねぇ
この場面は勤め帰りのかなり遅い時間でした。今でも良く覚えています。私はあっけに取られて見ているだけでしたが、何とも心に残る出来事でとても感動しました。私の好きな作品のひとつです。
インターネットで検索すると作品がアップされています。
職場でご一緒した岡戸秀仁さんがインターネットに載せてくれ、すべての作品が見られます。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/hagiwara/hidamari-no-uta.html
https://mituyuki-hagiwara.blogspot.com/
私の版画や家庭菜園、そば打ちのレシピなども載せてもらっています。次男からは、「岡戸さんは、考えられないほどの時間をかけて入力してくれたと思うよ」と言われ、気になっていますがとても嬉しくありがたいです。
Q.家庭菜園をはじめ、いろいろ楽しんでいますね
ビニールハウスの中で種を蒔き、自分で接ぎ木したなす苗を配ったり、大根をどっさり漬けて年末に知り合いに配るのが私の喜びです。また、収穫したばかりのトウモロコシで作る甘いコーンスープは、みなさんに飲ませてあげたいくらいです。
秋、甘柿が食べきれない時は、皮をむき1個の柿を5~6枚に切って干し柿チップにして冷蔵庫で保存します。1年中食べられるので楽しいです。
ひょうたん作りにも取り付かれ、大きいひょうたんを毎年作りますが、40年位経って置くところもないのでもらってくれる人を探しています。
夏から秋にかけては利根川で鯉釣りをします。春にはシュロで鯉の産卵場所を作り自宅で孵化させますが、赤ちゃんになった時の喜びもたまりません。
妻と一緒に仏像彫りの教室にも通っています。二人とも不器用で苦労していますが、気の合った仲間と楽しく彫っています。
Q.ボランティアにも参加されていますね
地元熊谷市の朗読ボランティアに入り、老人ホームや敬老会などで紙芝居、童話の朗読などを披露しています。お年寄りの皆さんの楽しそうな顔を見ていると私の方が嬉しくなります。帰り際、しわくちゃの手で握手され「また楽しい紙芝居持ってきてね」なんて言われると最高です。紙芝居の箱はいつも車の中に準備してあります。心のどこかに「喜ばれる事に喜びを」なんていう血が流れているのでしょう。
Q.現役時代の思い出など
食糧事務所時代、検査現場の心得として「どんな品物が出て来ても決してけなす事のないように。米も麦も半年も手間をかけて収穫して検査に出て来るのだから。注意する時は小さい声で、褒める時はみんなに聞こえるように」と教わりました。この一言が無ければ、私は生産者の心も考えない、鼻持ちならない検査官になっていたかも知れません。
また、妻が病気で長期入院が続き父子3人で暮らしている間、私の勤務条件について職場の皆さんが特別に考えてくれていたと何年か後に聞き、頭が下がりました。仲間に最高に恵まれたと思っています。
Q.近年の農水省についてどう感じられますか
食品業務で表示関係などの仕事をした時、業者を疑っての仕事のつらさ、苦しさを強く感じました。現在も職員の皆さんはご苦労されていると思います。
Q.健康維持で気を遣っていることは
72歳になりますが、これと言って悪い所はありません。自治会の関係で週1 回「健康体操」を行っています。体操も大事ですが、その場を昔の井戸端会議的な場にしたい、集まるのが楽しみだと言われるようにと考えています。「萩原さんて、いつも楽しそうなのね」と言われますが、いつまでもそうありたいものです。
農水退
事務局長 花村 靖
<農水OBだより2019.3.15号)「第11回お達者だより」より転載>