弓道一筋71年
NHK退職者協議会
寒川泰寿さん

私は、昭和13年1月和歌山県生まれ、間もなく米寿を迎えます。
今年は、終戦80周年となり、終戦時、私は国民学校二年生でした。
米軍が九十九里浜、高知の桂浜、紀伊半島に上陸して来るとの予測で、国民学校、中学校、女学校、天理教の教場まで、陸海軍の兵士が駐屯していたので、終戦直前は学校には行けませんでした。
終戦時の夏休みの終わり、友人と教科書やレコード盤まで、戦争色のある箇所を墨で塗りつぶしたのを覚えています。
戦後の小学校では、野球に興じました。中学校では学校のリレー選手や駅伝選手を体験、陸上競技に精を出していました。
弓道を始めたのは、同級生がお父様と一緒に高校の校庭で遠的稽古をしているのを見て、教えてほしいとお願いしたのが始まりでした。
昭和29年頃は、弓道をしている人も少なく、懸命に稽古に励んだこともあり、一年生の秋には、近畿大会で団体準優勝、二年には優勝しました。
これが今まで弓道を継続出来た原因だと思います。国民体育大会には、1点差で出場出来なかったことを今でも悔やんでいます。
弓道は、『立禅』とも言われています。ただ矢を射るだけでなく、精神修養的なところもあり、『真善美』の追求とか、『正射・善中・品位』を求める武道です。
これまで、テニスやゴルフ等も体験して来ましたが、弓道を続けて来られたことが、いま米寿を迎えるまで、足腰の衰えもなく、元気でいられる理由だと思っています。