第9回幸せさがし文化展入賞者のご紹介(3)
第3回
所 属 NTT労組退職者の会岩手県支部協議会
賞 書道の部 「特別審査員賞」
苦手な科目だった「習字」。でもいつか上手くなりたい
この度、思いがけず「特別審査員賞」をいただき、驚くとともに嬉しさがこみ上げてきました。「続けて良かった。これからも精進して何とか心に響く良い作品を書こう」と思います。
学校の時は「習字」は苦手な科目の一つでした。中学一年の三学期のこと、あまりの下手さに課題書を一枚も提出しませんでした。先生に呼び出され、学期中に提出する4、5枚を一晩で書かされた苦い経験があります。今なら筆圧の妙や筆のバネを使うとか、少し判った様に思いますが、どうにもグニャグニャした筆の扱いができませんでした。でも、子供の頃、実家の廊下に吊るしてあった「新築家屋手伝帳」の見事な筆字に憧れ、自分もいつか上手く書きたいと思い続けていました。
先生の「魔法の言葉」を信じて
私の子供が小学生の頃、公民館で「習字」の教室がありましたので、私は交代制の勤務でもあり、子供と一緒に2~3年通いました。でも先生の転居で教室は閉じられてしまいました。その後、一緒に「卓球」をしている方の紹介で昭和58年、「かな」の村里桃苑先生に師事いただくことになりました。先生は現在、日展会友で、娘さんは役員、お孫さんは日展作家と恵まれた環境の中にいる私ですが・・・。「上手くなりたい」と続けても「蚯蚓(みみず)が昼寝している」様な字は、なかなか上達しません。先生のお人柄に惹かれ、その指導力に敬服し、先生の「ある時、急に上手くなる時があるんだよね」という信憑性のある魔法の言葉を信じ、「もしかして私もなれるかも。よし、がんばろう」と思いました。
75歳の節目の時に読売展で「特選」に
平成8年6月退職。退職する少し前から展覧会に出品しはじめました。読売新聞社が主催する「読売展」は出品者の約6割が入選という高嶺の花です。はじめて出品の時は「死ぬまでには入選したい」と思っていましたが、いざ入選すると欲がでて、次は「会友(入選14)」をめざしました。幸いにも何とかクリアしました。今度は、手本なしで作品を書くことにしました。構成、使う文字、連綿等どこもかしこも垢抜けず、格好良くいえば、試行錯誤の連続です。「ああでもない、こうでもない」と自分の浅い知識を総動員して悩みました。でもそれも貴重な時でした。「生花」は先生の手で花や枝の向きを少し変えただけで趣が変わり、「絵」も先生の一筆の加筆で作品が生きる様に思います。その点、書は沢山添削していただいても、自分の力でしか作品が完成できません。そこも自分の性にあっているところで、努力したらどの位上達できるか、自分自身への期待も大きくなります。昨年75歳の節目の時に読売展で「特選」という、私には大輪の花のご褒美を拝受し、東京の新国立美術館に私の拙い作品が陳列されました。本当に思いがけない出来事に心底嬉しく、涙が出ました。気負う事なく真摯に筆を走らせたのが良かったのかもしれません。
元気で二足の草鞋を履き続けたい
平成24年12月夫が亡くなり、続いて同26年11月、長男が癌で旅立ちました。3年間で2人も送り出しました。でも今、沈まずに元気に過ごせるのは、地域の皆様の支えと「筆」と「ラケット」に助けられているからと思います。
卓球では仲間と白球を追い、筆では自分の好きな時間に墨の香りの中に身を置く。「動」と「静」。これからも元気で二足の草鞋(わらじ)を長く履き続けたいと思っています。