「ジェンダー平等って何・・・」(3)~男女雇用機会均等法から~

高知県退職者連合 副会長 山中 千枝子
(千斗枝グローバル教育研究所 代表)

 12月5日、日本退職教職員協議会の「ジェンダー平等委員会」に参加して、久しぶりに「男女雇用機会均等法」の講演を聞いた。
 公立中学校から、高知県人権啓発センターに異動したときに「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」いわゆる「女子差別撤廃条約」を批採択するために作られた「男女雇用機会均等法」にであった。その条文の中にある「セクシュアル・ハラスメント」が、我が国初めての人権侵害に対する罰則にあたると先輩の専門研修員の先生に聞いた。罰があるなしにかかわらず、人を差別することは決して許すことができないことなのにと、その時感じたことを思い出す。
 1979年12月18日、第34回国連総会で「女子差別撤廃条約」が採択された。日本はこの条約が結べなかった。その理由が、日本の民間企業の女性への対応と、日本社会の持っている社会通念の中の女性に対する差別意識。いわゆる性別固定観念に起因するとも聞いた。政府は、条約を結ぶための国内法の整備をはじめた。これが1985年5月17日に成立し、1986年に施行された「男女雇用機会均等法(雇用における機会などを性別の差別なく確保することを目的として定められた法律)」だ。
専門研修員の先生は、言葉を続けた。私が就職をした1971年頃の民間企業の定年。高知の大手企業は25歳が定年の所もあったという。会社での主たる仕事は、お茶くみと書類の整理。今ならコピー。主たる仕事にかかわらせてもらえなかった。25歳定年なら、重要な仕事をさせられなかっただろうことが容易に判断できる。その頃は、女は学をつける必要がない。早く結婚して家庭での役割をはたすことが最良だとされた時代である。結婚して仕事をやめる。寿退職である。今からわずか50年ほど前のことだ。その頃、そのことを、女性差別だと感じた人は、どのくらいいただろう。

 2002年に公立学校の校長になった。3年目に東日本にある大学の教授を参観日の講演にお招きしたことがあった。彼は、初めて女性校長に出会ったということでびっくりしていた。「高知は、女性の管理職は多いのですか」からはじまって、学校経営等について、私はたくさんの質問を受けた。「高知は、他県に比べて多いかもしれませんね」と答えたが、実数をきちんと把握しているわけではなかった。
校長室で、講演前の約2時間あまり話をした。学校を出る時に「教育に対する思い。子どもや保護者、地域への思い。同僚との信頼など、実践は男性も女性も一緒ですよ」と言うと、「男性も女性も変わらないですね」と彼は結んだ。以来、彼は高知に来ると思い出したように連絡をくれた。
 
 「あたり前のことがあたり前に」がそのまま通用する社会が、ジェンダー平等な社会だと思っている。その社会を見つけるには、まだまだ多くのハードルを越え、たくさんのトンネルをくぐらなければならないだろうとも思っている。50年前から考えると、急ピッチで世の中は動いている。社会運動や法整備等もどんどん進んでいる。そのはずである。その整備された内容が「絵にかいた餅」にならないようにするためには、実生活・現実の社会をじっくり見つめ、研修を進め、問い直していく必要があると考えている。何も知らなかった若かったころの私を再生産してはいけない。「知らない権利は守られない」。「伝えたいことは、言い続けないと伝わらない」とも思っている。
 もうひとつの大きなハードルは、「社会通念」であろう。それにどう切り込み、迫っていくか・・・は、大きな課題である。地域活動では、女性の役員が少ないからといって重宝されている傾向がある。実力のある女性も多くなっているが、女性だから・・・だけに甘んじている女性もいる。実力をつけて、どんどん社会活動に参加していってほしいと、常日頃思っている一人である。
「適材適所。男性だろうが女性だろうが、そんなことは関係ないでしょう」といくら言っても、役員選考の段階で女性がいなかったり、声の大きい男性に左右されることも多々ある。人は、その人に集まってくるもの。今こそ、女性の活動やその内容が試されるときだろう。

 11月に高知県退職者連合総会の講演会で、日本退職者連合の野田那智子さんのお話を伺った。講演の最後に「洗濯は誰がしますか」「掃除は誰がしますか」「料理は」・・・との問いかけに、「はーい」と笑顔で手をあげる男性会員の数が多かった。「うん、さすが高知」と、振り向きながら拍手。家事も育児も、仕事も地域活動も男も女も、すべての人が共同してやるべきだろう。そのことが実現し、実感できる社会こそ「ジェンダー平等」社会だ。