平和の思いを新たに

 東京高退連は、第23回総会で、戦後70年の活動として、学習会(孫崎享氏、山口二郎氏)戦争体験記、そして、平和集会への参加を決定しました。
 今回の沖縄の平和集会は、連合東京が戦後70年の節目の年に100名規模で連合の沖縄平和集会に参加することになり、その派遣団の一因として東京高退連は7名で参加しました。
 初日の「連合平和オキナワ集会」には、全国から約1,400名が参加し、連合古賀伸明会長は「ここ沖縄では激しい地上戦が行われ、20数万の尊い命が犠牲となった、沖縄戦で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげ、恒久平和の思いを新たにしたい」と挨拶しました。
 2日目は、道の駅「かでな」の屋上から嘉手納基地を見学。嘉数台から住宅地の中にある普天間基地を見学、ひめゆりの塔、平和記念公園、資料館そして最後に、クラシンウジョウ(避難壕)をガイドの案内で見学しました。
 この壕では、一人の犠牲者も出さず無事救出されたと説明があり、当時を実感するため懐中電池を消して「真っ暗闇」を体験しました。
 夕方からは「在日米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の抜本見直し」を求める行動として、国際通りをデモ行進しました。沿道の通行人から声がかかり、沖縄の人に我々の行動を訴えることができました。

東京高退連から参加した7人。左から2人目が宮崎事務局長(6月24日、沖縄糸満・平和記念公園)。

東京高退連から参加した7人。左から2人目が宮崎事務局長(6月24日、沖縄糸満・平和記念公園)。

戦争は人間性を奪う

 私は、現役の1997年の平和集会に参加して以来18年ぶりに参加しました。
 この間、沖縄を取り巻く情勢は大きく変わり、今年は、戦後70年の「慰霊の日」ということで、沖縄平和集会に参加しての印象を報告いたします。
 那覇空港について、まず、沖縄の新聞がこの日(慰霊の日)をどのように伝えているかと思い新聞(沖縄タイムス)を買いました。
 一面の見出しが「戦争は人間性を奪う」、そして、戦争体験者70人のメッセージが顔写真入りで各紙面に掲載されていました。
 社説には「戦争への危機感が募る」と題して、政府が進めている集団的自衛権を容認する安保法制、辺野古での新基地建設により、沖縄が、再び「捨て石」されるのではと訴えています。
 戦後70年、沖縄の人々は、戦争の犠牲だけでなく、嘉手納、普天間などの米軍基地の騒音、危険に苦しめられています。このことを私たちがもっと理解しないといけないと痛感しました。
 私は、東京の横田基地の近くに住んでいるので、離着陸の騒音は見聞きしていますが、嘉手納基地でのジェット戦闘機の騒音と離着陸の頻度は、想像以上です。

新基地は容認できぬ

 住宅地の中にある普天間基地、もう「沖縄以外にも移設してくれ」という願いを、沖縄全戦没者追悼式の翁長知事の平和宣言で「新基地は容認できぬ」と訴えていました。
 そして、安倍首相が「基地負担の軽減に全力を尽くす」と述べたが、「帰れ」などのヤジが飛んだと報道されていますが「心に届かぬ首相のことば」と県民は受け止めたのではないでしょうか。
 25日の琉球新報は、在京大手紙(朝日、読売、毎日、東京)と地方6紙の計10紙の「沖縄慰霊の日」の社説を掲載しました。沖縄の慰霊の日を本土の新聞がどのように伝えているが、県民に紹介しています。
 この沖縄の新聞を「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」と百田尚樹が自民党若手議員の勉強会で発言したが、言論統制以前の問題として、沖縄の現地に行って、沖縄の人々の気持ちに直接触れてもらいたい。

クラシンウジョウ(避難壕)をガイドの案内で見学した連合と東京高退連の参加者は「真っ暗闇」を体験した。

クラシンウジョウ(避難壕)をガイドの案内で見学した連合と東京高退連の参加者は「真っ暗闇」を体験した。

戦争は残酷だ、大切なのは人の命

 私は、今回の一連の沖縄平和行動を通じて、最も印象に残ったのは、避難壕を案内してくれた松永光雄氏(戦後生まれの2代目)が「戦争は残酷だ、大切なのは人の命、二度と沖縄の悲劇を繰り返すな」と訴えたことです。
 戦後70年。私は、戦争を体験(東京での空襲、疎開先の山里道での機銃掃射)した最後の世代(1937年生)の一人として、戦争の悲惨さ、平和の大切さを「次世代へ語り継いでいく」。そして、沖縄の人々の心を大切にこれからも活動を続けていく決意です。

(報告者)
東京高齢・退職者団体連合
事務局長 宮﨑 安基